鮭スペアレ版『マクベス』東京公演

鮭スペアレ
撮影:木村護

◎演出の言葉◎

「マクベス」といえば、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という文句と、それを言う三人の魔女たちが有名だと思う。私の「マクベス」の第一印象も、魔女だった。マクベスを破滅に追い込む魔女の存在をどう捉えるかが、作品の太刀筋を鮮やかにするはず。

はっきり言って、魔女の予言は、インチキだと思う。マクベスは嘘の予言によって思い込みウッカリ行動してしまい最愛の妻と自身を自滅させる、のだと思う。

ただし、インチキの嘘といっても、真実との二項対立としてのそれではない。

魔女はインチキなことをもっともらしく告げた。しかし、マクベスをしたたかに陥れようとか、「人間ってくだらないね、ヒッヒッヒ」みたいないかにも魔物らしいからかいを狙ったわけではない。私にはそう見える。

というのも、人生の真実などない、ということを私たちは知っているからである。生きる意味や人生の正解を求めても誰も教えてくれないということを、私たちは日常の中でいやというほど体験しているではないか。願っても叶わぬ恋、届かない理想。数知れない挫折。

シェイクスピア作品が400年前から時代も場所も超えて廃れないのは、作り物の真実ではなく、変わることのない人間の切ない日常に寄り添うからだと思う。

そう考えれば、魔女もマクベスも生き生きと、同じ穴のムジナ。ただ、魔女はやはり人間とは別なので、敏感に、マクベスの臨終を予感してはいたのだ、きっと。

もしかして、魔女にとって、素直で愚直なマクベスは少しだけ愛おしい存在なのかもしれない。魔女たちはひどい予言をして、冷たくマクベスを突き放すという解釈もできるけれど、私にはどうしてもそうは思えないのだ。

上演日時

2018年12月14日(金) 15:00(公開ゲネプロ)/19:30

15日(土) 14:00✩/18:00

16日(日) 14:00✩/18:00

17日(月)14:00✩

☆・・・終演後バックステージツアーあり。
上演時間75分

会場
北千住BUoY

出演者・スタッフ

作/翻訳

ウィリアム・シェイクスピア/坪内逍遥

構成・演出

中込遊里

音楽

五十部裕明

出演

清水いつ鹿
上埜すみれ
宮川麻理子
中込遊里
喜田ゆかり
箕浦妃紗
⻘田夏海
若尾颯太

演奏

バイオリン/中條日菜子
尺八/酒井将義
ハープ/横濱りい子
馬頭琴/フルハシユミコ

スタッフ

振付/片ひとみ
ドラマトゥルク/宮川麻理子
美術/北山聖子・樋口真惟子
衣装/清水いつ鹿
照明/植村真
宣伝美術/有布
舞台監督/林周一 (風煉ダンス)
制作/鮭スペアレ制作部・田村いろは

撮影:木村護
鮭スペアレ版「マクベス」東京公演
撮影:木村護
鮭スペアレ版「マクベス」東京公演
撮影:木村護
鮭スペアレ版「マクベス」東京公演
鮭スペアレ版
「マクベス」東京公演ダイジェスト版(2:25)

◎頂いた言葉◎

「可笑しいは哀しい、哀しいは可笑しい」

本作品は、過剰なまでに滑稽である。80年代ファッションにさらに色を付けたような衣装も、坪内逍遥訳の日本語が妙にマッチしてしまう台詞回しも、アングラ感が漂うメイクや表情、俳優の動きも、何もかもがいちいち滑稽である。その滑稽さが、予言に翻弄されるマクベスの悲しい滑稽さを際立たせている。そもそも、シェイクスピアの他の作品と比較すると、『マクベス』は笑いどころが少ない作品だと言えよう。昨今上演されるものの多くは、その悲劇的要素に焦点を当てがちである。それに対して鮭スペアレは、過剰な滑稽さで笑いを差し挟んでくる。「綺麗は穢い、穢いは綺麗」という台詞に寄せるならば、鮭スペアレ『マクベス』は「可笑しいは哀しい、哀しいは可笑しい」である。王を殺した後で次々に反勢力をその手にかけるようになったマクベス。彼が白塗りの顔で真っ赤な口をニッと開く時、それは笑っているようにも、泣いているようにも見えた。

關智子 (演劇研究・批評)