鮭スペアレが演劇を用いて目指すことは、人が生きた歴史を知り、現代を生きる知恵として活かすことです。そのために、古典を中心とした幅広い戯曲・題材を上演し続けています。

古典作品に触れると、その時代・国で文化や価値観は違っても、人々が「人間とはなにか」という問いを抱えて生きていることがわかります。そして、人がさまざまな役割を持つ、つまり「なにかになる」ことで社会が成り立ってきたことがわかります。

一方で、マクベスの名台詞「あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる」(福田恆存訳)の通りに、人は自分が真になにものであるかを説明するのは難しく、その一生を終える時にはなにも持たないという真実にも行き当たります。

鮭スペアレは、「人は何者にもなりきれない」という理念を持ち、俳優がなにを果たすべきか、また、演出家はなにに責任を取るべきか、問い直します。